高専制度に関するメモ

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zoom RSS 高専誕生前史 「専科大学法案」関連

<<   作成日時 : 2006/12/28 01:29   >>

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高専法の前身である専科大学法案関連の出来事(1958年)

○第28国会が1957年12月20日に開会

○専科大学法案上程直前、朝日新聞(2月22日付)に記事
「文部省は早々に自民党の了解を得たうえ、閣議決定の運びとしたい考えである。いっぽう短期大学の大部分を占める私立短大側は『新制度は短大の“格下げ”である』として強く反対、自民党に働きかけている」


○3月26日
 衆議院文教委員会で松永文部大臣が法案を提案

○4月25日
 話し合い解散。審議未了廃案

○9月の30回国会に前回の案そのままに提案

○10月18日
 灘尾文部大臣が文教委員会で提案理由を説明

○10月末まで4回審議

○10月29日
 文教委員会公聴会を開催

  出席公述人
  日本経営者団体連盟理事 児玉寛一
  山形大学学長山形大学工業短期大学部学長 関口勲
  日本私立短期大学協会会長 松本生太
  慶応義塾大学教授 山本敏夫

 以下、各公述人の発言の要旨

  慶応義塾大学教授 山本敏夫

 子供の身になって考えてみましたときに、中学校卒業の十五才の段階で五年または六年の技術者養成コースにすぐ入るということが、その子供本人にとって適しているかどうかということの見きわめはなかなか困難であると思われるのであります。私ども教育学者の間で討議いたしました意見で、共通的に出ておりまする点は、中学校の上学年から高等学校の年令の段階では、生徒の能力、興味というようなものは変化に富んでおって、職業的志望の変更ということもいろいろあり得ることであり、中学校修了段階で、将来テクニシャンたるべきことを決定し得る学問的根拠というものがないのではないか、さように考えられておるのであります。

 もしも単なる技能者養成に傾くというようなことになりますと、それは科学技術教育のあり方といたしましても問題があると思いますし、またそうなりますと、カリキュラムの構成の点からいいましても、生徒が将来ほかの種類の学校に移る、いわゆるトランスファーにも重大な支障を来たすのではないかと思うのであります。普通課程卒業者で、もし短期のコースを志願するというような場合が出ました場合においては、そういう種類の専科大学には入れない。やはりその点からも短期大学の門戸をあけておく必要があるのではないか、さように思われるのであります。要するに専大制度によりましてトランスファーの自由を妨げ、袋小路に追い込むおそれがあるのであります。


  日経連 児玉寛一

 
専科大学というこの案にあるものがなぜ必要かと申しますと、私はもとは技術屋ですが、それも中級技術者か初級技術者くらいな資格だろうと思いますが、かりに技術だけを考えましても、そうでない会社を運営する事務系のことを考えましても、大体人員というものはピラミッド的というか、そういう配置になる方が人事管理上非常に都合がよい。頭でっかちでも困るし、またフラットになっても困る。

 そこでかりに現在の六・三・三・四制の工業学校、商業学校を考えましても、高卒三年程度の者と、大学四年を終った者との間には相当な開きがあります。この間を埋めるためにはどうしても、結局私はピラミッド論ですから、ピラミッドにするために、その中間の技術者、事務屋が必要であろう。そうするとこの専科大学案が最も適当であろうという私の考えであります。

 さてそれならば、これは高等学校を卒業して二年でありますが、その案を作るのにどうしたらいいかということを考えますと、さっき技術々々という話がありましたけれども、事務系におきましても五年制にした方がより効果的である。商業高等学校を出た人と大学との間の、その中間の人として商業短期大学、あるいはこれで言えば専科大学ですが、専科大学の人がぜひ必要であろう。そうしますと六・三・三・二になるわけであります。今の短期大学の六・三・三・二、ところがこれはいろいろな議論がありますが、私は教育というものはこま切れにすべきものではない。できるだけ同じ学校で長く教育する方が教育効果が上る。幾ら優秀な先生がおられても、時間が短かいことにはどうしても感化を及ぼすことはできない。やはり時間のファクターが入ってくる。

 そうしますと、昔は専門学校は六・五・三でありました。それが今度のこの案によると六・三・五になるわけで、トータルの年限は同じでありますけれども、三が中間に来るか最後に来るか、教育はできるだけ終りが長い方がいい。それは十年も何年もかかると困るんだけれども、終りが長い方がいいというのが私の見解でありまして、そうしますと従来の専門学校の六・五・三よりも六・三・五の方がより有効であるというのが私の見解であります。

 従ってこれができますれば、これはもとの文化系統で言えば商業高等学校、商業専門学校、それから技術で言えば工業専門学校、あの三年制度の専門学校よりは――これは大学という名前もついておるのでありますが、よりいい有能な人ができ得るであろう。教育というものはどうしても最終において相当の年限を要する。ことに技術教育においては年限を要する。それを二年ではまことに短か過ぎると考えますので、専門学校のもとよりははるかにいい卒業生が出るであろう。あるいは六・三・五を四にしても従来くらいな――これは一年減るわけですが、大学は新制が今度一年減ったんですから、それとの関連においては六・三・四でもいいではないかというくらいに思っているわけなのであります。それを六・三・五にすれば、あるいは六にすればもっとよくなって、日本の工業界に非常に貢献するであろうと私は考えます。

 同時に、現在事務系の方は非常に卒業生が余って就職難だ、技術系は逆に希望する人数が得られないで各事業場は非常に困っているという時代に、今後技術者の、ことに中級、高級技術者の数を非常に増さなければいかぬ。日本が工業国として立つ以上はどうしても技術者の供給数をともかく増さなければいかぬ。増す場合に何を増すべきかといいますと、私は四年制度の大学は世界並みに考えましても日本では数が少いとは考えません。従って今後技術者を増すために工業高等学校を増したらどうか、それもけっこうでありますが、それではどうも足らないというところで、中級、高級の技術者を今後日本がたくさん作らなければいかぬ。

 それがためにはこの専科大学による技術者を日本は作るべきだ。その方が父兄の負担も少いし、国家の負担も少いし、しかも民間の事業会社は切にこれを望んでいるのでありますから、これを増すべきだ。大学はそうやたらに増すべきではなかろう。電子工業だとか原子力だとかいうような新しい科を大学にお増しになることはけっこうでありますけれども、四年制の工業大学を新設するよりは、専科大学をそれと同じ金でやればたくさんの教育ができるわけですから、その方が日本の国家として進むべき道だろうと考えます。私はそう考えるわけであります。

 世の中の必要は、これはもう先ほど申した通りに中級技術者というか、こういう技術者を必要としておる。たとえば原子力にいたしましても、これは非常にむずかしい問題でありまして、非常に高級な技術が必要なんですけれども、その人が今はすべての計算までやらなければいかぬ。ところが原子力のメインの部分だけを大学あるいは大学院を出た人がやっておって、その下に助手としてある程度の、中級の技術者が必要であります。それを持っていけば、一人の人が二人前も三人前も――下の人を使うことによっても三人前も働けませんけれども、一・五なり一・六人前くらいの仕事をりっぱにできる。

 これは大学でもそうじゃないか。たとえば大学の助教授は必ず教授にするんだということになると、なかなかむずかしいけれども、助手として一生涯働くという人は、必ずしも大学を出ていないでも、こういう専科大学を出た人が助手として働けば、大学の方でも教授をそう増さぬでも教授のロードをこれによって軽くできるであろう。会社においても同じであります。大学院や大学の卒業生のロードを軽くする、というと多少語弊がありますけれども、そういう意味でこの問題は非常に必要であろう。

 なるほど教育は機会均等でありますけれども、学校というものは一様の者を作ることではなくて、入った者をどれだけ伸ばすかということで、しかも人間の能力には限界があります。能力のない者を、現状では工科を志望する場合、工業高等学校があるが、それ以上は大学へ行くよりない。工科関係の専門学校は少いわけですから、ニヵ年では非常にむずかしいのです。大学まで行かないで、自分は中級技術者くらいの素質でも、その人は、中間がないものですから、現在ではどちらか一つだけ選ばなければならぬ。これはやはり自由に選べるという形でこういうことをした方が自由の原則に合うであろうということを私考えるわけです。


  日本私立短大協会 松本生太

 
短期大学は大学のワクの中にあるが、今度の専科大学は大学にあらざるものにするのだ。そうすると、大学というものであればこの科学技術ができぬで、大学にあらざるものにすればできるという理由がどうもわからぬ。むしろ短期大学協会の方のお方は大学のワクの中へ置けば、みな、われわれは大学であるから、もっとよくやらなければならぬのだというような自信があるのではないか、その方がよくできるのじゃないか、こういう考え方を持ったのであります。科学技術、中級技術者の養成そのものには、少しも反対はいたしておりません。ただその方法が、短期大学の活用によってできるではないか、こう申しておるのであります。

 しかるに女子の短期大学まで専科大学に切りかえをなさらんとするのは、あまりひどくはないかという考えであります。こういうことを申し上げてははなはだ恐縮であるかもしれませんが、女子は就職をするとかいうことが本職ではございません。これは一家の主婦になって、そうして子女の教育をやるということが主なる仕事であります。短期大学で、中学校教員の資格とか、幼稚園の先生の資格とか、小学校の先生の資格をもらっておいても、一生これによって職業的にやろうという人は、ほとんどないのであります。嫁入りをする前にちょっと就職するぐらいのものでございまして、これが男子同様にみな就職をするということになりますれば、日本の家庭はいかになりますか。これらはみな一家の主婦となって、そうして家庭教育に従事して、日本のりっぱなる家庭、りっぱなる子女養育をするところの義務があると私は思うのであります。これを女子は二年にして大学の教育はできたんだ、こういうことになりますれば、自分の子供でも母親は大学を出て、そうしてこういう資格を持っているんだということになりますれば、少くも小学校、中学校に行くまで母親の教えを真に喜んで尊敬して受けることはできます。

 これをもし大学にあらざる専科大学にいたしますと、わが母親は大学出と言うけれども、あれは大学じゃないのだ、こういうことになれば、子供が母親を尊敬する程度も差異を生じます。これは非常にデリケートな問題であります。そのときに母親が子供に及ぼす感化というものは非常に重大なものだ、こう考えるのであります。こういうことを考えまして、女子の短大制度というものは、まことに必要なものであるということは社会一般がこれを認めておるのは、皆様御承知のことと私は思うのであります。

 とにかく現在の短期大学のお方はみんな大学として認可されたものですから、大学以下のものにはなりたくない。こう言うているのです。だからもう御想像なさればわかりますが、切りかえを好んでやるものはないのです。ただ今の短期大学もだんだん発達をして四年制大学にはしていきたいという希望はみなあるのです。

 提案理由の御説明をごらんになっても明らかに大学ではない、高等学校でもない。一種の――こういうことを申してはいかぬかもしれませんが、一種の特殊なものができたのですね。元の複線型のものに戻りつつある。これは年限の通算というようなことがあるから一本ではないかと言われますけれども、目的が違うものが同一の学校ということは常識上許さぬ。

 ただ大学として認可したものをほかのものにするということになると――今言われたように、これは生まれたものです。生まれたものは、人間ならばかたわでもめくらの学校へ入れたり助長するのです。短期大学はかたわだとおっしゃるならこれを助長してよくして下さればいい。そのことはいつでも賛成しているのです。ところがかたわだから殺すということは、人間に例をおとりになっても今できない(引用者注・例えが酷すぎる)。まして短期大学はたくさんできている。みな生徒もおります、教授もおります、その者がもし短期大学がつぶれて専科大学にならぬというようなことになりますれば、これは一種の社会問題にもなると私は思います。





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