高専制度に関するメモ

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zoom RSS 沿革と制度の特徴1

<<   作成日時 : 2006/12/27 00:23   >>

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一般には、高専と聞いてもピンと来る人は少ない。「高専ロボコン(ロボットコンテスト)」といえば思い出す人がいるぐらいだろうか。
一言で説明すれば、中学卒業程度を入学資格にして、工業・商船などの学科を中心に、実践的な技術者(中堅技術者)を養成するための5年制の高等教育機関である。学校教育法では「深く専門の学芸を教授し、職業に必要な能力を育成することを目的とする」とされている*1。

注1・学校教育法 第1条「この法律で、学校とは、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、大学、高等専門学校、盲学校、聾学校、養護学校及び幼稚園とする。」


しかし、大学・短大の場合、学校教育法に「研究」目的が明記されている一方で、同様に高等教育機関に位置付けられた高専は、なぜか研究目的を外され、「学芸を教授」に特化しているのも特徴のひとつである。一段低い位置づけであることから、高専関係者にはわだかまりが潜在しているようだ*2。

注2・大学と短大にかかわる条文 大学「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」。短大「深く専門の学芸を教授研究し、職業又は実際生活に必要な能力を育成することを主な目的とする」


その高専は1962年の創設以来40年余、変転を重ねることになった。
戦前型の教育制度を希求する産業界の強力な要請によって設立された高専は、高校と大学の課程7年分を5年に圧縮した、促成による中堅技術者養成のための教育機関として誕生した*3。高専関係者のなかには、「高校3年プラス短大ではなく、5年間の一貫教育によって学部レベルの専門教育を施すための学校だ」と力説する者すらいる。だが、旧制大学と旧制専門学校などとに分化し、互いに交わることのなかった複線型の教育システムを反省し、戦後整備された6334制の学制を差別に改変するものであるという批判にもさらされた。

注3・中堅技術者 実質的には「中級技術者」の言い換え。第38国会衆議院文教委員会(1961年5月15日)で、荒木萬壽夫文部大臣は「六・三・三・四そのものを私は否定する考えは一つもございません。(中略)東海道だけでは不十分だ、現在の交通量はまかないきれない、もう一本二級国道的なものを考えねばならぬという意味合いでございまして、六・三・三・四それ自体は厳然として堅持され充実されていかねばならぬ、これにプラス・アルファで将来に向かっては完全になるであろう、こういうふうに理解しております」と高専の設立意図を説明した。設立時より「2級」と位置付けられた教育機関であった。


ところが、実際に開校してみると、大学の代替になるという期待が高まり、経済的に恵まれない家庭の中学生(特に男子中学生)の進学先として大いにもてはやされることになる*4。1期生の卒業時には、知名度のなさから、就職先の開拓に多少の困難さはあったようだが、当時の全国紙のなかには(現代では差別的な記述であるが)「婿1人に嫁10人」という見出しのもと、就職戦線の好調さを報じるほど、産業界に重用されることになった。

注4・創設時の高専の人気度 文部省の『学制百年史』には「高等専門学校の入学状況をみると、国立では、三十七年度一七・五倍、三十八年度一三・三倍と競争率はきわめて高く、優秀な生徒が集まった」との記述がある。ただ、高専を高等教育機関と位置付けたのは文部省自身であるにもかかわらず、「生徒」と記述している。高専1期校が誕生した1962年当時、高校進学率は63.9%(うち定時制が5%)、短大を含む大学進学率は16.5%(62年当時の高校1年が大学進学する年代となった65年は16.9%)にすぎなかった。団塊の世代の人口爆発で高校の定員増が追いつかなかったこともあり、人気を博したといえる。


高専の設置された地域の大多数は、戦後の経済成長の象徴ともいえる「新産業都市」を筆頭にした工業都市と一致することになる。創設当初の教員の構成は、大学や高校から転出してきた者のほか、大企業出身者が大きな比重を占めることになった。また、多くの高専では、当初単位認定はされないものの、「工場実習」が必修化された。近年、大学や職業高校で一気に広まっているインターンシップの嚆矢ともいえる。

しかし、60年代後半には、複線型教育機関ゆえに学生らによる「袋小路批判」が高まった。また、企業のための体のいい労働力の供給機関であるという批判も浴びることになる。現場労働者に対する差別的ニュアンスがあるものの、当時の学生らは「職工教育」と自嘲した。さらに、学生自治が認められていなかったこともあって、一部の高専では学園闘争が高揚することになる。
その後、筑波大学に続く新構想大学として、高専卒業生のために学部2年と修士2年の計4年間の課程を前提にしたふたつの技術科学大学が1978年に開学し、編入先は拡充された。複線型教育機関を形式的に単線型教育機関に合流させるも、高専生のみを純粋培養するというしくみは変わらない、いわば弥縫策だった。



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